念仏石

念仏石は、右のお堂に祀られています。

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念仏石の由来

平重衡による南都焼討の後、南都東大寺大仏殿の再建を成就して大勧進職であった俊乗房重源は師匠の法然上人を御導師として請じ、建久6年3月大仏殿の落慶法要を修せられた。

その際、法然上人は連日、念仏の当代的意義のみを宣布され帰路の途につかれた。

これに対し法然上人の話に期待が外れ、落胆した何百人もの大衆が一団となり法然上人を追跡、大和と山城の国境で「只、念仏の意義のみの話で、なぜ法相、華厳などの他宗義には触れなかったのか」と迫った。

法然上人は、念仏が他の諸行より勝れ、その功徳が広大である訳を述べ、それが真実であることを証明し、大衆の疑問を除くために、一枚の紙に「南無阿弥陀仏」と六字の御名号を記し、傍らに在った大きな石と六字の御名号を天秤棒に掛け、「この名号の功徳の大きいことは石より重い」と数珠を爪繰った。

不思議なことに石は次第に上がり御名号はついに地面についてしまった。この奇瑞を目前にした一同は、異口同音に念仏を高らかにお唱えしたという。この後法然上人は近くにあったこの安養寺(京都府木津川市市坂久保川56番地)において二日三夜の別時を修し、近隣の村々の大衆を御化導された。

この大石(力自慢が、やっと抱えるほどの石)を村人は、お堂を作りお祀りしたところ、年々大きくなりお堂を作り直す事、数度に及んだと言う。

以上